漫画「キセキのヒロシマ」を活用し、
平和を創る子ども達を育てる輪を世界中で広げる理由

一般社団法人ピースピースプロジェクト
代表理事 多田多延子

私の祖母は原爆投下のその日に原爆で亡くなりました。 23歳でした。
母と曾祖母は爆心地から1.5キロ時点で被爆しましたが、奇跡的に生かされました。
家屋や財産、全てを失いましたが、女性起業家だった曽祖母は、
母を育てながら事業を再生し、地域社会に貢献し続けました。
曾祖母の姿を見て、私も「社会に役立つ起業家になりたい!」と志しました。

10歳の時、交通事故による脳内出血で生死の境をさまよいましたが、
奇跡的に2週間で退院致しました。生かされている感謝と感激を形に表すため、
社会に役立つ起業家を目指す事を決意しました。

高校時代、平和記念公園に訪れた国内外の学生達に平和を伝える
ボランティア活動を通じて、ヒロシマでの平和教育は原爆の被害の大きさを伝えるだけになっているのではないかと疑問を持つようになりました。
復興の史実や平和の大切さを伝えることの重要性を痛感しました。

広島には、年間30万人の子ども達が平和学習のために訪れています。
「子ども達が笑顔でワクワクしながら学べる平和教育をお手伝いしたい!」
という想いから、曾祖母や祖母、母の広島の復興の実話を基に、平和の大切さと
恕(ゆる)す※心を伝える漫画「キセキのヒロシマ」を原作、自費出版致しました。

 

※ 恕(ゆる)す(英語表記:forgive)とは、
思いやりの心で罪や過ちをゆるすという意味です。
ゆるすという読みで、
「赦す(罪を赦す)」、「許す(許可する)」という漢字がありますが、
一切を抱擁して進歩向上しようとする心という意味で、
「恕す」という漢字を使っております。
漫画「キセキのヒロシマ」は、壊滅的な状況の中でも憎んだり恨んだりせずに、
前を向いて見事復興を遂げた女性達の恕す心を描いております。

英語版をお読みいただいたオバマ大統領(当時)からは、
ホワイトハウスから「感動した」とお礼状を賜りました。
学校の先生方より、教材や学級文庫用の予算が限られているというお話を聞き、
2017年1月より、1,000冊無料貸出を決意致しました。

子ども達と平和教育をしていく中で、
小学校6年生の男の子の感想の中に
「戦争は止めるものでなく、始めない事だ」とあり、
じ~んと胸に込み上げるものがありました。

このような想いを持つ子ども達を1人でも多く育てたいという想いで、
平和を創る子ども達を育てる輪を広げております。
ご賛同いただけましたら光栄です。

子ども達の未来が愛と平和に満ち溢れた世界になりますように。

 

私たちが世界平和のためにできること

ヒロシマの「復興」の歴史に着目した平和教育

広島では、戦争のために17歳~45歳の男性が徴兵されました。
殆どの男手を取られていたため、原爆投下当時、ヒロシマの復興を支えたのは女性達でした。
壊滅的な被害の中でも恨みや憎しみの心に囚われず、
立ち止まることなく前を向いて希望を持ちながら進み、見事復興を遂げました。

広島に原爆が投下されてから10日もたたないうちに、戦争が終わりました。
原爆によって壊滅した広島でも、電気や交通 機関などが復旧するにつれて、
人々は焼け残った材料で住宅を再建したりして、生活を建て直しはじめました。

被爆の後、「広島には75年間は草木も生えないだろう」といわれましたが、
焼けこげたガレキの間から赤いカンナが花を開き、これを見た人々は、生きる勇気と希望を持ちました。

原爆投下からわずか3日で再開した路面電車や
緑あふれる平和記念公演が広島の復興のシンボル的存在として語り継がれています。

ヒロシマを伝えるほとんどの書籍は、原爆投下による被爆の悲惨さを世界に伝えてきました。
私たちは、「キセキのヒロシマ」を通じて、当時の日本人がどのように復興に立ち向かったのかを伝えています。
キセキのヒロシマが、平和のために何ができるかを考えるきっかけになることを願っています。

 

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