代表挨拶

2016年12月13日

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わたくしは、広島生まれの広島育ちです。
今から70年前、広島は世界で初めて原爆投下されました。
私は、曾祖母、祖父母、両親が被爆した被爆2世で、
原爆と復興を身近に感じながら育ちました。

10歳の時に、交通事故にて脳内出血で生死の境をさまよいました。
医師より生存確率数%、
運良く助かっても寝たきりか半身不随と宣告されましたが、
名医の執刀の元奇跡の生還をし、
後遺症もなく2週間で退院を許されました。

死生観が変わる体験から
「生かされている」感謝と感激を形に表すために
「たくさんの人々の役に立つ人生を送りたい。」と思い、
社会に役立つ起業家を志しました。

高校生の時から平和活動に取り組み、国内外の高校生に
広島の平和記念公園内の記念碑の案内をするボランティア活動に参加していました。
しかし、どの資料も広島の被爆の悲惨さを伝えるものばかりでした。
今でも広島は、放射能を含む「ブラックレイン」に象徴される
「被爆地ヒロシマ」のままなのだということを知り大きなショックを受けました。

また、平和学習に訪れた方々からは、「広島に来るとつらい原爆の歴史を思い出すから、
もう広島に来たくない」と言われ、何度も悲しい経験を致しました。
現在も世界各国で「広島の原爆展」が開催されていますが、
被爆直後の焼け野原となったヒロシマと、被爆した方たちのやけどの悲惨な
写真パネルばかりが展示されていることも、私の中で悲しいギャップとなっていました。

広島は、悲しい思い出だけの都市ではありません。
がれきの中から見事に復興を遂げた、希望あふれる「復興都市」です。
原爆の悲惨さだけを伝えるのではなく、奇跡の復興を遂げた女性たちの姿を伝えることで、
「広島が平和を願い続ける希望あふれる都市と感じて欲しい!」
とそんな願いを持っていました。
私は広島に生まれ育った者として、世界初の「被爆都市ヒロシマ」から
全世界に「希望と平和」を象徴する町「世界一の復興都市ヒロシマ」として
求心力を高めていくことを希望しています。

2009年には、のべ800名の皆様と「世界最大の折り鶴」のギネス記録に挑戦致し、
幅81.94メートル、高さ36メートル、重さ1トンの折り鶴が完成し、
2010年1月にギネス社より認定されました。

2010年2月には「広島オリンピック応援隊」を結成しました。
「広島にオリンピックを招致しよう」と、全国からご賛同を頂き、
60万を超える署名を広島市長に提出することができました。

そして「復興都市ヒロシマ」への願いから、
戦後70年を機に、戦争でほとんどの男手を取られた中で
広島の復興を支えた曾祖母や女性たちの実話を描いた漫画「キセキのヒロシマ
朝陽に映えて HIROSHIMA is in The PINK!」を原作・自費出版致しました。

壊滅的な状況の中でも、前を向いて希望を持ち続けることで
困難を乗り越え復興した歴史的事実と、
憎しみではなく、慈しみ、敬いあえる事を祈り、平和の大切さをテーマに制作致しました。

高校時代、ボランティア活動を行っていた時から
「広島の女性たち」の心を伝えたいと願い続けてきました。
もし興味を持たれたら、是非手に取ってご覧いただけましたら嬉しいです。

一般社団法人ピースピースプロジェクトの活動を通じて、
また、「キセキのヒロシマ」を読まれたすべての人々が、
「恕(ゆる)す心」と「慈しみ、敬いあえる心」を抱き、
対立のない平和な世界が1日も早く実現することを心より願っております。

 

2015年吉日
一般社団法人ピースピースプロジェクト 代表理事 多田 多延子

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